昭和44年8月24日 特別奉修委員
                                     入力者 大坪れい
 ( ? )久保山陽子さんも一緒にお参りし合わせておって、私、東さんと、愛子さんに対する、ここでの私が、4時の御祈念終わって、そのまま感動を伝えておるときに、丁度お参りをしてからね、その( ? )、ほんな端々としか聞いとらんけれども、大変なやがり感動を覚えたというね。
もう帰る道々、もう本当にどうしてこげんも踏ん切りがつかんじゃろうかと思うことに、踏ん切りがついて、もう胸内が何かズンズンズンズンする程の喜びだったと、こういうですね、帰るまで。

 もう今朝なんか、自電車で朝の御祈念に来られて、それこそ誰かが、こう押しとるという感じだったというです。本当にあの~今朝の御理解にありますように、ただ立ち行くということだけじゃいけないと、ね、ただ立ち行くとなら、信心があってん、なかってん、誰でん栄枯盛衰でありながら、立ち行きよるじゃないかと、ね、道の、此の方の道はとこう仰る、此の方の道に入って、信心の行をさして頂く者は、その安心と喜びとか、伴うて立ち行かなければ駄目だと。そこにね、その御理解があった訳ですけれども。

 私はそのことを思うてですね、本当に神様が私共と、皆さんと、私との、ん~まぁもう昨日はね、ずーと頂くんですよ、一人一人の、あの私と一番始めにおうた時のこと。繁雄さんがおられるから繁雄さんのことをいうと、一番始めにですね、繁雄さんが月次祭の時に、こちらは(庭?)に立っておられる時ですね、「あん時にお前が説教台の前で異常なまでの感動があっとろうが」と仰るです。はぁ~なら隅の方に立ってある繁雄さんが立って( ? )、こうお説教中、チラッとこう目があって、いわば視線と視線がこうおうたんです。そん時に、もうどんこんされんごたる感動が確かにあったです。

 はぁ~あれはもうそのまま神の感動だったと仰るがね、例えば、あの古賀さんなんかとの一番始めの、ここでの私との出会いの時なんかですね、本当何にもないことだったんですよ。けれども、それはもう、それこそあの、ん…まぁ言葉に言われませんけれど、感動だったんですが、はぁ~本当に、例えばここの、え~( ? )がどうでも必要だけ、九州中の材木を探して無かったですからね、もう今あの( ? )なさないわけですね、ヒノキというのは。それをあの神戸の材木新聞の社長さんの世話で、これだけはあるというのが、日田の大工さんがこれだけが必要だといっておるだけだったでしょ?だから電話でかけてから、「はい少々受けたまわりました」ちゆうことなこっちゃったです。

 大工さんが専門的に、はぁ~もうそれはそれだけではないけれども、古賀さんと私の出会いの時に、神様が感動しなさったはずだということですね。ですから、その感動をんなら裏切らんようにしていかないかん。昨日私が申しましたように、正樹さんと私の感動、あの、あすこの家内の(?)との出会いの時の感動といったようなものがですね、ですから、それを、あの~ですかね、その神様の感動を裏切らないようにというのが信心だというんです。ね、だから、あの~そこんところを、一つお繰り合わせ頂くところは頂かせてもろうて、え~、おかげ頂かなければならんが、え~今日、その陽子さんのお届けを聞かせて頂いてから、はぁ本当に、その、そのことに本気でそういう心決めたら、神様がそれこそ、身がしびれるような感動を、またおくっておられるということがね、いわゆる、そこには、おそらく近い将来に安心が生まれるだろう、その喜びが頂けるだろう。この喜びで行くところにですね、いわゆる、立ち行くだけではない、喜びと安心が伴うて立ち行くおかげになってくると私は思うですよ。どうぞ。